そろそろ完結編。なんで二週間もかかってるんだろ。
自殺を止めるのに「生きていればいいことがある」というありがちなセリフがあります。
では人間は、「いいことがある」から、そのいいことの為に生きているのでしょうか。
確かに究極的にはその言い方も誤りでは無いでしょうが、少し言葉を省略しすぎてる感じですな。
私の場合、生きていることに感謝するほど嬉しかったことがかつて人生にあったかというと、
まあ、2,3回か。もっと多いか、あるいは0かも。
逆に、もうマジで死ぬってぐらい辛い思いをしたことは、…まあ謙虚に言えば0かも。
で、ほどほどに良かった悪かったってのが大量にあるわけです。
良い物語に出会ったり、良い食べ物に出会ったりすると、そこそこ生きてて良かった感じです。


仕事上で極端に重い責任が掛かってきたとか、借金で首が回らないとか、
人間関係が修復不能に壊れてしまってるとか、病気がもう絶望的に治らないとか
死にたくなる理由は色々あると思います。
自殺というのは、そういった困難な問題を全て完璧に片付けてしまうという大技なわけです。
ただし、人生で一度しか使えません。大技なので。
考えるべきは、本当に今がその大技を繰り出す時なのか、という事だと思うのです。
今後自分に起こる全ての良い事悪い事を全て犠牲にするだけの価値が、目の前の問題にあるのか、という。
社会的な責任は、人に押し付けて自分だけ逃げてしまえばいい。
借金は、自己破産できなきゃとにかく逃げまくってどうにかなるかもしれない。
人間関係は、全てを絶って家の中に引きこもってしまえばいい。
病気は、もう治らないのならダメかも。気休めに宗教でも始めてみてはどうだろうか。
解決法は、必ずしもないわけではないのだけれど。
人はなぜか、思い詰めてしまうわけです。視野が狭窄して、物事の見方が
極端に偏ってしまうわけです。追い詰められると。
生死の選択は、そんな偏った見方に陥らずに、冷静な判断力を以って行うべきなのです。