言葉によって定義される言葉は、その限定のされ方からみて相対的な存在であることは明らかです。
(「相対的」というのも便利で適当な表現ではありますが)
極論を言えば、人が認識する全ての事象は相対的なものと言えるでしょう、が。
「言葉によって定義される言葉」は、完全に自身の世界から生まれる概念で、
より小規模な空間に収納でき、その相対性がより明瞭に表れています。
と思ったんですが、そういう事を言いたいのと違うんだな。話がずれる。


うん、違う。
概念はもっと高次元の存在として、頭の中にある(ものもある)のです。
でもそれを他人が観測できる存在として、具体的に「コレ」と顕示することができないので、
言葉で表現できる次元に落とすのです。
ていうか、いい感じにつながってきた。言いたかったことは↓。
そういう、頭の中にある高次元の存在を総称して、私はしばしば「概念」とか「イメージ」
という言葉で表現するのですが、正直コレは舌ッ足らずな表現だと感じています。
なんか、いい言葉ないでしょうか。
「観念」とか。うーん観念、うーん…?