先日、テレビ朝日でIQテストの番組をやっておりました。
私も受けてみたところ、言語と記憶のジャンルの点が今ひとつでした。
言語が悪かったのはちょっと残念だったのですが、
記憶の方は大方思い当たるフシがあったようで、記憶が弱いんだね、と何となく納得していました。
しかし、今日の夕方、突然悟りを開いてしまったのです。
『そう!、そうだよ! 記憶がコンスタントに苦手だったんだ、自分は』
今までぼんやりと認識してはいたのですが、
この事実は実はとても重要な事だったのです。もっと早く認知していなければならなかった。
ぶっちゃけテストの結果は118でした。記憶はギリギリ平均ぐらいだったのですが、
ペアの絵を記憶するテストは、ちょっとコツのようなものを知っていたため、
仮にそのコツを知らなかったとすると、指数としては100ぐらいでしょうか。
(視聴者平均が105ぐらいのようなので)
大雑把に、自分は118の集団の中で生活しているのだとしましょう。
その集団の記憶能力の平均値は118であるのに対し、私の能力は100なのです。


学習の過程において、記憶の能力が高いと有利と思われるのは、学習の初期段階です。
全く何の知識も無い所に、まず基礎の要素を打ち込むのは、
見たものをそのまま記憶する、暗記力だと思います。
理論の基礎を組み立てるための大前提だけは、どうしても暗記しなければならない。
(記憶しなければそもそもお話にならない)
それから、その応用例を最低でも数パターン、多ければ多いほど論理構築は充実する。
記憶力がそれほど必要とされなくなるのは、少なくともそれ以降のレベルでの話だと思います。
もし、その能力が人より劣っていたのだとすれば、
学習を他人と同じペースで進める事自体が、どちらかと言えば誤りに近い。
それでも他人のペースについて行こうとするのであれば、こと基礎的な項目、記憶については、
当然のように人より多くの労力・時間を割くべきであった、それでやっと人並みだったのだと。
人と同じ程度の努力ではそもそも間に合わなかったのだ、と、気付くべきだったと。
(そしてなおかつ、人並み以下の努力しかしていなかったわけです)


その番組でですね、しきりに
「IQは高ければ必ず良いというものではなく、その人の個性を表すものですから」
「自分が何が得意で、何が不得意かを知る事が大事」
のような事を、古館氏がしきりに連呼していたのが印象的だったのですが、
少し、その言葉の意味を理解したような気がします。