考え事をしていると、何度か至る結論がある。
何かを合点した時に、気付く。 これと同じ事を、以前も考えた事があった、と。
円筒型の建造物の内側に設置された、螺旋階段のようなもの。そういうイメージ。
思考の海に潜り、一歩また一歩と歩み進むうちに、気が付けば最初と同じような
景色の場所に戻っている。一見、無駄な行程であったように思われる。が違う。
「同じよう」に見えるけれど、違うのだ。
言葉にすると同じ結論のように思われる、
しかし、
一階層深い世界が見えたという、実感がある。上にいた頃の自分には理解できなかった。


善悪について思ったときに、ここに何度か書き込んでいるけれど、また書く。
自分を中心とし、世界を自分と自分以外に分けて考える(これは私が考え事をする時の基礎によく使う)と、
善悪という基準は、
「(自分の)外部から推奨される人の生き方のガイドライン」のような概念にまとめることができる。
長いので外ドラインと略す。だじゃれだ。
組成は異なるけれど、外ドラインには
「法律」「一般常識・通例」「他人の個人的な要求・勧め」「所属している組織の要求・奨励」
「(やってれば)宗教」「企業の広告」「ネットの情報やマニュアル本の類」
等がある、というか、そういうものをひと括りにした概念が外ドラインだ!
何がいいたいのかというと、善悪のガイドラインは多少歴史的な重みはあるものの、
上記のものと同様の質のものとして抽象化できる、ということ。
要は、外ドラインはあくまで参考程度。
外ドラインを知った上で、自分はどのように行動すべきか、考えていこう、というわけなのです。