堀江貴文氏の本を立ち読みしました。
高校生の時の話でぽつっと「英単語集を一冊丸暗記して…」のようなくだりがありまして、
そこのところでちょっとおもったのですな。
「英単語集の丸暗記」自体は、決して難しいことではなくて、きっと誰でもできる事だ。
きっと自分にもできる。
ただ、それが気合一発でできる人と、十発ぐらい必要な人とが、世の中にはいるのだ。多分。
もう少し詳しく言うと、
記憶力が抜群に高くて短期間にそこそこの苦労で達成できる人と、
記憶力は並だけど根性があってとりあえず時間をつぎ込んで達成できる人と、
根性はあるけど時間の都合がつかなくてなかなか達成できない人と、
その行為に興味がもてないため、そもそもやる気が起きなくて達成できない・やる気が起きればできる人と、
そういう諸々のパターンがあって、期間内に問題をクリアできた人・できなかった人がいるのだろうと思う。

気合一発でできた人が、いずれ社長になったのだろうと思う。
そうでない人は、社長になれない・ならないのだろうと思う。
もちろん比喩的な意味で
「社長」というと、社会的には偉い人として、一般に認知されているだろうと思う。
なので誰もがそれを目指せばいいのかと言われれば、違う、そういうものではないだろう。
社長の仕事をこなせない人が社長になる意味はないし、そもそも、
ただ単に偉くなりたいという理由でしか仕事を選べない人間がいるとしたら、
彼は自分の生き方について考える過程が必要なのではないか、と思う。
少なくとも、自分で会社を立ち上げた、今存在している社長という人達は、
自分の能力がどうこうということではなく、何かやりたいことがあって、
そのために会社を作り、結果的に今社長に地位にいる、という事なのだろうと思う。
誰かに美味しいものを食べさせたくて働いている大衆食堂のおっさんや、
農家のおっさんや、警官のおっさんや、旅館のおっさんや、社長のような人達は、
きっと確信を持って、自分を生きているのだろうと思う。それらの仕事は、とても貴いもののように思える。
そういう貴さを想わない人間が、まだまだ日本に沢山いるように、私には思える。


最近ちょっと「思」の字が多すぎる と思う。