ニワトリとタマゴと

マスメディアで頻繁に取り上げられている話題を見ると、
ああ、今、旬の話題はこれなのか。と思う。世の人々の多くがこの話題に興味を持っているんだなと思う。
その興味を持たれているらしい話題について、知り合いと論じたりする事はほとんど無い。
でもきっと、口には出さないけどみんな興味は持っているんだ、と思っている。テレビでやってるんだから。


私の興味の無いニュースが何度もやっていると、不思議に思いながら、
私は興味は無いけれど、世間では興味が持たれているんだな、と思う。


やがて報道されなくなると、そういえば昔のあの話題はもう興味を持たれなくなってしまったんだな。と思う。


これは、何だかとても異常なことだ。テレビの報道は世間の意思の象徴だと信じ込んでしまっている。
気がつけば私は、また恐らく大多数の人は、マスメディアの情報にあまりに深く依存してしまっている。


報道されなくなった話題は、報道されなくなった話題。本来はただそれだけの事なのだけれど。
確かにテレビは、世間で興味を持たれている事を積極的に報道はする。
でもそれは義務ではなく、局自体もポリシーをもっているから、必ず世間の意志を反映するとは限らないし、
嘘もつく。
さらにこの問題がややこしいのは、テレビの報道によって私や多くの人が、その話題に興味を
持ってしまい、その話題が注目されている事が既成事実になってしまうという事で。
こうなると、話題になっているから報道されるのか、報道されるから話題になるのか、判らなくなってしまう。
私個人の事を考えてみてもそうで。
テレビでやっていると、そっちに興味が向く。テレビでやっていない事柄は、すっぱり忘れてしまう。