妖怪はいるかいないか。

以下は、「妖怪なんてものは存在しない」と断言する人に対する、問いかけなのですが。


確かに、口裂け女とかぬらりひょんとかが現在日本のどこかに生息しているんですかと訊かれれば、
「いるんですよ」とは答え辛いけれども。
例えば、『空想上の妖怪』と『実在する妖怪』と分けて、後者の妖怪は存在するのだ、という言い方ならどうか。
『実在する妖怪(のようなもの)』ならどうか。


ザリガニの霊に取り憑かれると、端っこが大好きになり、隅の座席でないと落ち着かなくなります。
空いている電車の中で橋の座席にばかり人がいるのは、そのせいらしいです。でろでろの記載によれば。
というわけで、実在している霊もいるのです。 妖怪じゃないじゃんというツッコミは不可


『なぜ電車の席は両端が人気なのか−行動の心理学』 著:本明寛
この本を読めば、その現象に一定の説明をつけてくれるかもしれません。が、
それを読んで納得し、ザリガニの霊を否定する人がいるのであれば、やはり私は言いたいのですよ。
なぜ心理学は有効で、ザリガニの霊が無効だとあなたは断言するのかと。
あなたは本当にその説明を理解し、自分なりに検証して、その説に誤りが無い事を確信して判断したのかと。
ただ単に、心理学という権威に対する信仰のみで、ザリガニの霊を否定してはいませんかと。


確かに、心理学は人のいろいろな行動を説明し、また次に取るであろう行動を予測したりできます。
その実証例の多さから、心理学に一定の信頼を置くのは当然の事ではあります。
一方、霊や妖怪と名のつくものは迷信とも縁が深く、一般に空想上の存在としての地位を確立しており、
二つ並べてどちらを信用するかと言われれば、心理学の方を選択するのは妥当な判断ではあります。
とはいえ、心理学もさほど完璧なものではなく、基本的には、既存の現象を類型化し、
あわよくば他の現象に応用しようというただそれだけのものです。
そして、ザリガニの霊による説明もそのスタンスは同じなわけです。
なぜ電車にザリガニの霊がいるのか、とかの理論的な後ろ盾は弱いですが、『霊に取り憑かれやすい人』
『霊に好まれる場所』という視点で、霊による説明を広げていける可能性はあります。


「でも結局、そういう説明も可能だというだけであって、ザリガニの霊がいるわけではないでしょ?」
と、言う人がいると思うのですが、それもどうかな?と私は思ったりします。
例えば、科学的な概念である「エネルギー」というものは、本当にあるのか。あると言える存在なのか。
「電気」「重力」「波動」「流れ」これらのものの存在を、人は信じていないのか。
または、空想上の概念に便宜的に名前を付けたものとして取り扱われているか。
そういう概念と同列に「ザリガニの霊」を感じることはできないでしょうか。


…といった、以上までの私の解釈では、実際に目に見える霊や妖怪はいないという事になってしまいますが、
例えば、交差点の雑踏を振り返った時に一瞬見えたような気がした何か。
PCのモニタの前に座り、意識を他に向けた時に、後ろに何か得体の知れないものがこちらを見ている感じ。
もし人が妖怪や霊を本気で信じるのであれば、それらのものがより鮮明になって
正体を現してくるのではないか、という予感を私は持っていたりするのです。


それは、かつて見えなかったものが見えてくる、というよりむしろ、
人はそもそも、何も無い・何でもないものに意味付けして、存在を認めるもの、つまり、
人は本来得体の知れない有象無象の中で、自己の生み出した観念によって人の世界のイメージを
作り出しているのではないか、という、なんかそんな感じなのです。