悪意

人間は基本的に、人から悪意を受けた場合、その分の悪意を誰かに吐き出さないと、落ち着かないわけです。
基本的に、悪意は自然消滅しないものと考えます。


世界から悪意を減らすにはどうすれば良いかと言うと、
1つは、悪意の生成元を破壊する事。
もう1つは、他人からの悪意を吸収して、消化するか、墓場まで悪意を持って行く事。


前者の端的な例は、殺してしまうという事ですが、改心させる事ができればそれでもよいです。
当たり前の考え方なので、それは今回はどうでもいいのです。


私が言いたいのは、後者の行動を取っている人達をもっと評価するべきだ!という事で。
悪口を言われるとか、不愉快な行為をうけるとか、まあ、いじめられるとか。
そういう行動に対して反抗せず、ただ我慢して胸の奥にしまってしまうような人々に対して、
ふがいないとか、意気地なしなどと呼ぶ人がいるわけですが、
そんな事を言っている人達は、そういう「人の良い」行為がどれほど世界の浄化に貢献しているかを理解していないのです。
(つか、ふがいない等と偉そうに言う人は、同様の行為を見掛けたら加害者を諫めるぐらいの事はして下さい。)
そりゃまあ、悪意の元を絶たなければならないのももっともで、反撃するか受容するかは
状況に応じてより効果的な方を選択するのが良いでしょうが、
もしもです。誰もが受けた分の悪意をそのまま誰かに返す事を繰り返すような世の中であったら、
……それはそれで意外とマシな世界になるんだろうか?
…。
いや、きっと悪くなります。悪意は増える一方なので、みんなストレスまみれで不幸になります。多分。


他人から悪意を受けてもそれを他人に発散せず、我慢する事は、とても意義のある行為だと私は思うのです。