やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい

という言葉には、直感的な印象としては真実性があるような気はする。
また、大きな決断をしようとする己に対する、ちょっとした勇気づけにはなったりする。


でも、これはやはり場合によりけりなのかもしれないと、ちょっと思う。
考慮すべきはリスクの問題で。
やるだけやっても特に人生レベルの大きな痛手を受けないだろうという事柄であれば、
なおかつ、一時的な心の痛みを恐れているだけでその挑戦を忌避しているのだとすれば、
やっておいて損はないという、そういうことなのだろうと思う。


実のところ「やらずに後悔する」の「後悔」が、とても大きい後悔である例は、あまりないのではと思う。
若い頃親に迷惑を掛けて、今ではすっかり立ち直って詫びたい気持ちでいっぱいだが、恩返ししようにも
もう親は亡くなってしまってどうにもならない。
ぐらいのレベルで思いを引き摺ってしまう「後悔」は、そうそう無いんじゃないかと。
それぐらい大切な事なら、まあ迷うような問題じゃないしね。


「やらずに後悔」は、苦い思い出にはなる。でも、「やって後悔」もそれはそれで苦い思い出だったりする。
昔のことは昔のことで、それをやってもやらなくても、それはもう今の自分の構成要素になっていて、
昔やらなかった事が、「だから今度こそはやるべきだ」という今の行動の原動力になる事もあって
終わった事はもう思い返しても、過去の事実を変更する事はできないという意味で無駄であるわけだし、
今はやはり、今考えなければならない事に時間を使うのが、今を生きている人間というものだったりするわけで。


まあ、
長い期間でものを考えて、一時の利益よりも一生の利益を尊重しましょうという、
そういう助言なんだろうなと。