価値の測り方

自分が 良い/優れている/有価値だ と思った何かがあったとしても、
その何かは世間的にはあまり高い評価を得られなかったりすることがある。
そういう場合、自分が間違っているのか、あるいは世間が間違っているのかと考えることはよくある。


よくあるけれど、本質的にはどちらの考えにも思想的な優劣はなくて、どちらが間違っている事もなく、
世間の意見は世間の意見で支持を得ているのは事実だし、自分が無意味に世間に迎合していく必要もなく、
逆に自分の考えを世間に強いれば傲慢と思われるし、強いたところで世間全てが従うわけもない。


それを自分が信じる限り自分は正しいし、世間も正しい。これが原則。(と私は信じている。)


ただ、大切なことは。
現実に大きな力を持つのは、多数派の意見すなわち世間の意見だということ。
自分の意見が世間と食い違う場合、殊に自分が世間に拒絶される場合などは、
戦略的な観点から、自分の考えを曲げていく必要はある。
それは外面だけ世間に合わせて、自分の本心は本心として時が来るまで密かに
胸の内に隠しておくということでもいいし、
外面はもとより内面から改宗してしまっても、別に自分がそれでいいならいいわけで。


自分の本懐が自分の思想を貫くことにあるのなら、少なくとも自分が生きる(あるいは望んで死ぬ)
ことは必須の条件だと思う。
自分の本懐が別の何かなら、思想自体は別に曲げてしまっても問題ない。