MSが変わっている?

最近、Microsoftの経営方針について、今までとは全く異なる戦略をとる話をよく聞くようになった気がする。


とりあえず、コレ。
http://search.msn.co.jp/
http://www.start.com/
あまり話題に上がらないけれど、Google並に凝ったインターフェースが提供されている、
(start.comのようなUIは、GoogleよりもMSのが先ではないかと思うのだけれど、どうなんだろう。)
ポイントは、Firefoxで正しく動作するということで、恐らくFirefoxでの動作テストも行われているのだろう。
MSのブラウザでなければ動作しなかったという、以前の積極的な囲い込みの姿勢が、大分薄れて来ている気がする。
(高度な機能を提供していたブラウザがかつてはIEしかなかった、のもいちおう事実かもしれないけれど、
どちらかといえばそれは言い訳だろうと思う)


他にも確か、英国あたりでソフトウェアの中古販売を認めた、とか。
(これには、XP以降、Windowsのライセンス管理を厳密にして得た利益の還元のような意味合いを感じる)
広告を表示させることで、ソフトウェアを無料で使用できる形態を検討しているとか。
(これは、パッケージ販売による利益が今後縮小していく可能性を見通して、ということらしい)


MSが変わっているのではなく、昨今のオープンコミュニティソフトウェア・企業の台頭、業界全体の流れに、
MSも追随せざるを得ないということなのかもしれない。
逆に言えば、MSほどの巨大企業でさえ、従わざるを得ない新しい流れ、変えることのできない流れ
というものが、はっきりその力を表しつつある、そんな風にも見える。


「あるべき社会」「理想社会」というものがあるとする。
それは、全ての人の欲求によって均衡が保たれ、誰もがほどほどの利益を享受でき、
社会全体の利益の総量を高めるために人々が互いに協力する。
全体の生産性を落とすような、足の引っ張り合いはしない。
全ての人、自分にも利益が回ってくる社会であるために、利益の一人占めはしない。させない。
そんな社会だと思う。そしてそれが、人が考え行き着くところの最良の結論だと、私は思っている。
(これは、共産主義に近いのだろう)


もともと新陳代謝が速い資本主義社会の上で、さらに変化の速いITの世界において、
最も世界が幸福な状態について、最も早くに究極の結論が明示されるのかもしれない。
(破壊の後の創造では、全体傾向的により優れたものを人は作ろうとするから、
サイクルを繰り返すほど、真に望ましい物を作り出すと思うのだ)
そしてそれが、人のあり方の道しるべとなるのかもしれない、とか思う。


というわけで、はじめの話からずいぶんズレたなあと。