偽優

人が、弱い者に優しく接する理由のひとつは、
それが弱い者であるために、自分に危害を加えることはしない・できないだろうという安心感からの
ものであろうと思う。


自分に危害を加える者に優しく接することができる人間がいるとすれば、多分それは
ある本質におけるその相手の人間的弱さを知っているから、その者が行える程度の
反抗は織り込み済みで、高が知れているもの、だからではないかと思う。


その点において、ある意味その人間は優しさを掛ける相手を下に見ているのだろうと。
だから、優しさはある種の傲慢でもあるだろう、と思う。
ただ客観的に見て、優しさを掛けられた相手にとってはメリットの方が大きく、
その傲慢が表に現れなければ相手に不快な思いをさせる事もないのだから、
「その優しさは偽物である」といった風に気を揉む必要はないと思うけれど。


ただ、人に施しを与える際、己で気付かず傲慢になっている人間はいるかもしれない。