ぐだぐだ

8/17の記事は少し言い過ぎたような気もする。
とは言うものの、戦時中は平常時の常識をそのまま適用できないのも事実。


核兵器の使用がいけないのと同様、通常兵器の使用もいけない。そもそも、戦争はいけない。
「防衛のための戦争は許される」という考え方もあるが、極論を言えば防衛のための軍事力行使すら、
本来なら避けるべきだと思う。やってることは結局同じだから、である。
しかし現実に攻撃されることがあれば、反抗しなければ滅ぼされてしまう。
容易に滅ぼせると思われれば、容易に攻められるため、平時から軍備を揃えて牽制しなければならない。
その傍ら、世の風潮が軍事的な解決の肯定に傾かないように、平和の啓蒙を続けなければならない。


本心から平和を願うために軍備を用意したのであれば、尚のこと二枚舌を使わないわけにいかない。
故に、太平洋戦争当時の各国事情に関わらず、政治家ならば過剰に平和を肯定し、原爆を否定しなければ
ならない。のだろうか。胸の内はどうであっても。それが嘘だと感じるとしても。嘘が露呈すれば責められるとしても?
靖国神社に参拝することを、周囲の顔色を窺って決めなければならないのだろうか。


嘘も方便、とは言うけれど、数多くの嘘を吐きながら誠意を保ち続けるのは大変だ。
人間の世界は難しい。