作り手と受け手の価値観

作り手と受け手の価値観は異なるのだ、と思った。


作り手にとって思う良い作品が、受け手にとってもそうであるとは限らない。
作り手と受け手の価値観が一致していれば問題は起きないが、目指すものの方向が違ってしまうと、
作り手がいくら良いものを作っても全く売れないという事になる。
受け手の価値観も個人によって様々だが、作り手が重視するのは、ごく一般的な受け手、大多数を占める層の
価値観だろう。


作り手もかつてはその大多数の受け手の一員であったかもしれない。1受け手の立場として
多数の作品を吟味して、プロと呼ばれるに足りうる作家としての感性を育ててきたのだろう。
その時はまだ、最も優れた受け手の感性というレベルに位置していたのかもしれない。


そこからさらに芸術面にのめり込んで、現状の作品に不満を感じ、より個性的な、野心的な作品作りに
囚われるようになると、一般の嗜好から大きく外れてしまう危険がある。
いわゆる大衆はもっと典型的で分かりやすい、単純で下らない作品を求めているかもしれない。
ある種の下らなさは自覚していても、崇高であることと愉しめることとは別のものだから、
作家がそのような方向に進化してしまうことは、受け手には歓迎されない場合がある。
むしろ大衆作家は、道を踏み外さずに、作品が高度にならないように注意する必要がある。
(低年齢層を対象とした作品は、その傾向をより露骨に感じて取れる)
それを強く意識していると思われる作家を、私は幾人か数えている。
それは、自分の満足よりも、他人の満足のために作品を作っているという姿勢に他ならない。


以上はどちらかというと芸能的な作品に関する作り手と受け手の関係なのだけれど、
実用的な製品を例とした場合は、作り手と受け手の関係はまた異なるものになる。