選挙に対して思うこと

いずれまとめようと思っていたけれど、まだ考えが固まりきっていないので、とりあえず現時点で思っていることを列挙してみることにする。

  • 投票には行かない

色々思うとこはあるけどまとめると、投票に行く価値が、投票に行かない価値を上回らないので行かないという事なのだろう。
今後どうしても受かって欲しい候補者への投票権をもらった場合に、再考することになる予定。

  • 議員の選び方

立候補者の挙げる政治方針から、投票する相手を選択すべしという考え方がある。
しかし私はその考え方は、若干無理があるのではないかと感じる。
その立候補者の挙げる政策の全てが、自分の意見と合致するだろうか。
合致すればいいが、合致しないものが含まれていた場合に、どうすればよいのか。
白票を投ずるべきか。限られた選択肢の中で妥協するのか。


私は思うのだけれど、候補者はその政策を第一ではなく、人間性を第一に選ぶべきではないかと思う。
公平で、市民のために働いてくれそうな人、責任感があり、実行力がありそうな人、である。
政策も重要ではあるけれど、それは2の次。政治家を選択したら、あまり細かい話は口を出さず、
全判断を委任するのが適切である気がする。
私が良いと思っている政策など正しいとは限らないし、全てのもののためになっている事も限らない。
だから私よりも優秀でより世界を専門的に熟知した人間に、重要な仕事を任せようというのが選挙なのではないか。


偉い立場になって視えてくるものもある。より適切な判断ができるようになる部分もある。
当選後、選挙の時に主張していたことと違う政策をとるべきだと思うこともあるだろう。
そこでマニフェストに拘って、本意ではない政策を押し通してしまう事が、政治家として正しいだろうか。
そこでマニフェストを放棄して、無知な市民に批判される時、市民の行動は社会にとって有益なものだろうか。


為政者の考えが変わった場合に、為政者と投票者の間で変化せずに済むものは「信頼」ではないだろうか。
市民としては「やり方はあんま納得いかないけど、あの人が言うのだからしょうがない」と思える相手に、
票を投ずるべきではないだろうか。

  • 党の選び方

自民党郵政民営化すると言ったから、衆院選投票用紙に「自民党」と書く。
有権者として、この行為についてどう思うか。この行動は、良心的であるだろうか。
党のマニフェスト全てが、自分の考えと一致していれば問題はない。
且つ、党員の全てを知っていて、その全てが信頼できる人間であると判断できているのなら、安心して党名を書くことができるだろう。


しかしマニフェストの方はまだしも、党員の全てを把握、全てを信頼(10歩譲って容認)することなど、
一般人にはとても無理だ。というか、考えが相容れない党員が明らかに存在する場合に、丸ごとひっくるめて
党を支持することなどできるのだろうか。
できるのだろうかというか、私はしたくないのだ。


「そんな細かいことを気にしていては投票なんてできないよ」と言われるかもしれない。
しかしそこを気にしない投票者は、善き有権者と言えるのだろうか。
(→悪しき有権者は、選挙の質の向上に貢献しない。ただ義務的に投票所に足を運ぶのでは意味がない)
政界の腐敗に手を貸してしまう可能性に、おそれを抱かないだろうか。


現実の政治の方は、「そんな細かいことを気にしていては政治なんてできないよ」だと思うけれど。

  • とりあえずここまで