例えば私が会社に所属しているのだとして

例えば私が会社に所属しているのだとして。
会社のために働かず、自分のために働くのだという考え方を持っているとして。
会社のためになる事は極力避けて、自分のためになる事だけに労力を割こうと考え。
社員全員がそのような事を考えているとしたら、その会社の未来は暗いものとなるだろう。
会社のために働く事が、自分の利益に繋がるのだ、社員全員がそのように考える
会社と比較すれば、結果は雲泥の差となるだろう。


例えば私が社会に所属しているのだとして。以下略。


ひとりひとりの僅かな意識の差が、結果としてその共同体の運命を大きく左右する。
ひとりひとりの力が微々たるものであったとしても、それは無ではなく、
その集合体が大きなうねりとなり、然るべき結果を導く。これは事実であって即ち、
自分ひとりが行動を起こしても何も変わらないという考えは、誤りである。
変わっているのである。何も変わらないから行動を起こさないというのは言い訳に過ぎない。
人は自分が為すべきと思う事を為すべきであり、それを為さないのであれば内発的な相応の理由を
持っていなければならない。


「自分ひとりが行動を起こしても何も変わらない」と、多くの人が思っている。
それは違うのだと、重ねて言いたい。そうでない事に気が付いて欲しい。
その考えは行動を起こさない理由とはならないのだと気が付いて欲しい。
まだ「面倒だから行動しない」の方が、現実認識が正しい分マシである。


自分の利益しか考えられない人間というのは、要は器が小さいという事なのだと思う。
他人に利益を分けるぐらいの心の広さを持ち、それを利用して大きな利益を得る、器の大きい人間はそのように考える。