煙突

高い煙突を持つ工場がある。昔はあった、というべきなのか。
低い位置から排煙すると、近隣の迷惑になる。
高い位置から排煙すれば充分に薄まって、地上にはほとんど届かない、という発想だ。
自然には物質を分解する浄化作用がある。大気は無限に広がっている。汚染物質は無限に広がり、害を為さない。
今時ではあり得ないかもしれないが、ほんの何十年前の人々はそう考えたのだ。
公害のような具体的な失敗例が無ければ、自分もそのように考えると思う。
自分が少し油を下水に流したところで、海洋汚染に加担したことにはならない。そう思うのだ。


人は、自分たちが自然環境を変えてしまうほどの力を持っている自覚は無かったのだと思う。
少しぐらい海に汚染水を流しても、何かの力で浄化される、あるいは自然に影響を与えてしまう程の量ではないと
何となく思っていたのだろう。
実際には、環境を考慮せずに流した汚染物質は、少しずつ確実に自然に堆積していった。当然ではある。


多くの物事について、同じような事が言えるのだと思う。
千里の道も一歩から、という。一歩を確実に続けていけば、千里にもいずれ必ず到達してしまうのだ。
自分の悪癖にはつい目を逸らしてしまう。これぐらいは大丈夫だよねと、無かった事にしてしまいたがる。
理由もなく無くなったりはしないのだ。小さく積み重ねた事柄が、いずれ自分の運命を大きく変えてしまったりするのだろう。