心の痛みを知るのであれば、その苦痛を他者に与えることのないように。
憎しみの循環に囚われている人間は、決して真の幸福を得ることはできないのです。
祈りたまえ、清めたまえ。世界人類のために。


騙す人間がいなくなれば、騙されることを忘れてしまうだろう。


「地球を守ろう」とかいってる人を見ると「ケッ」とか、思いますよね。
思いませんか? …そうですか。
いや、確かにね。地球守らないとまずいんだけどね。自分が住んでんだから。
なんかでも、「やさしくしよう」「地球がかわいそう」とかゆわれると、
なんか歪んだ微笑が顔に浮かんでしまったりしますよね。
しませんか? …そうですか。 …そういうもんなのかな。
いや、でもね。基本的に人間(に限らず)は利己的なものだと思うんですよ。
基本的に他の生き物の事なんて考えてないし、むしろ利用してなんぼというか、
いかに地球資源を効率よくGetするかが、人類繁栄の鍵となっているわけですよ。
肉いただいてる時に、その肉の家族は悲しんでるだろうなとか、
ウチの子が3日前から行方不明なんですとぶたさんに訊かれても、
昨日マルエツで息子さんらしき姿を見掛けましたよとか丁寧に答えてる場合じゃ
ないわけですよ。 なんか話の流れがおかしくなってる
えころじ系の発想の元になっているのは、人類の存亡に対する危機感とか、
あるいは単なる嗜好や収集趣味のようなもの、つまり、えーと、レゴ?
少なくとも、被害者本人の意志を確認することはできてない、勝手な判断の筈です。
もともとそういう意識だったものがなんかいつのまにか「守ろう」みたいな
変な保護者意識にスライドしてしまったのではないかと思うわけで、
まぁ、ちょっと、うん。


ぶたさん的視点では、そんな事でなんかいい気持ちになってる人間とかは
かなり、その、青筋立ってしまうのではと。