運命論や、決定論を信じている人はいると思います。
少なくとも、科学的予測というものはそれに基づいているはずです。
その場合、人間も例外ではないと考えるのが普通なので、
人もそのように生き、そのように判断している、つまり、人は自由ではないと。
とはいっても、感覚的には自由というものを感じていて、自由に今後の行動を
選択できるような気がするわけです。
それはただ、そのような気がするだけで、本質的な自由ではない、と、
いう人も多分いると思うんですが、実在しえない理想的な自由を定義して、
今の自由を本物でないと言うことに、はたして意味はあるんでしょうか、とか。
では自由とは一体何か、とか。
選択できるというのは、悩む幅ができるということだろうか、とか。
決断力があるのは、裏を返すと選択の余地が一つしかない、
自由でないということなのだろう、とか。
また、同じ時間を2度通ることはできないので、人の意志の本質に関わらず、
結果的には運命的と見えざるをえない、のかもしれないと思ったり。
法則と事実が対立したら、法則の方を曲げなきゃならないわけだし。
人間の人間らしいところの一つは、意志があることで
意志というのは、選択権があることが前提なので、
決定論が真実だとしても、選択権のように見えるものはあるわけで。
こういうよな伏線をおいたうえで、話が続くかもしれません。


とりあえず、
人間には意志がある。
ものには意志がない。
しかし人間はものである。
このような三段論法ドコがだよが、まとめみたいなものです。