根っこをコンクリートで固められ、針金を巻かれ、全身に排気ガスを吹き付けられている
街路樹なぞを見ると、何だかひどく痛々しいものを感じてしまいます。
彼らはひどく苦しがっているんじゃないだろうか、と。
そんな時、私は木の幹に手を当てて、静かに語りかけてみます、痛いの?苦しいの?
ああそう別に痛くないの、そりゃ結構ねと自問自答で完結してまっては意味無いですが。
相手が痛いと言わなければ、痛いと思っていることは伝わらない、
また、それ以上を思いやることはできないという人間の無力さに悲哀の念を感じずに
いられないとかいられるとか。
ひょっとしたらこのネタは前にも書いたんだっけと、急に不安になってきました。


でまぁ、それはそれとして。
なんかこう、ちっとも本体の更新しないで人が読んでも大して面白くも無いよな日記を
ただ安易だからという理由でひたすら続けていってしまう最近の傾向をかんがみて、
なんかこう、非常に自己満足ちっくでムダな行為に思えるわけで、
思わずトップページにCLOSEDの看板立ててしまおうかと思う程かなり鬱な
気分になってしまったりするわけで、てゆうかいい加減もうトップページに
夏風吹かしとくのだけは何とかしなければなりません。マストなのです。
そこで一つ、SDLというライブラリを使って初心者向けのC言語式ゲーム塾でも
おったててみますかコラというネタを思いついたのですが、このての思い付きが成就する
確率というのは最近のわたくしの傾向からするとかなりゼロ%なわけです。
その理由は、ただ面倒くさいという非常に明快な要素に集約されていると思われます。
そこでまあ、思ったことは。
要するにこの日記調の形式ならそれなりにどうにか続くらしいということが
解ってきて、なるほど人間の成長とは自分を知ることなりねとふっと格言めいた
事を思いついてよしこれは将来なんかで偉くなった時に講演会とかでちょっと
使えそうですねとか喜んでみても仕方ないので、ええと?
要するに、こういう形式でたまにちょこちょこ書いていって、節ぐらいの大きさに
なった時にちょっとまとめて別ページに載せようかなと。
大体私は、一定量の文章をページに載せる前には結構悩んで迷って
自分の厳正な審査に合格したもののみが日の目をみるものでして、(ココだけは別)
このくだりはなんか受け狙ってて恥ずかしいからボツとか、
初め面白いつもりで書いたけどあとから読んでみたらちっとも面白くないようだからボツとか、
そんなのが多いので、その辺の推敲の経過をちょっとのぞいてみるのも、
見る人によっては面白いかもしれません。はい。
ただ、ここに書いてしまうと、他の話題と流れが徹底的に2分してしまいそうなので、
なんかアレ、べつんトコにもう一個落書きページをつくろうかなと、思っています。
で、ここまで書いてなお、いつまでも実行しなかったりするのが、自分の
怖いところであるわけです、と、つい逃げ場を用意してしまうのが私の悪いところであるわけです。