努力家とは、何者だろうか、と。
成果を得た人の中には、努力をした人も、しなかった人も、それを語らない人もいるんだろう。
でも、結果は出せた人たちです。
成果の上がらない努力家というのは、まあその姿勢は買うけれども、
果たして、手放しで褒め上げて良いものだろうかと思いました。
実らない努力は、しない方がむしろ偉いのでは。


実るかどうかが判らないのが、悩ましいのかもしれないけれども。
少なくとも、不器用に手間ばかりかけていては、時間内に得られるものの
総量は削られていくわけだし、あまり上手とは言えない。
可愛げはあるけれども、何となくその「可愛さ」には、他人が努力していて、
なおかつその成果が現れていないことに対する安堵みたいな、
毒が混じっているような気がして、少し気持ちが悪い。
今言っているのは、本人がどうしたいかという問題のことではなくて。
社会の価値観として、単に努力しているだけの事を徒に評価するのは、
間違ってるんじゃないかな、ということで。


何かを成し遂げたのに、その裏に努力がなかった為に
評価を下げるような判断はおかしいよ。うん。