魔法のことを、考えたりします。
仮に魔法というものがあったとして、その力を行使できたとしても
何でも思い通りの現象を起こせる訳でないだろうし、無秩序に
発生するものでもないだろうと。
何らかの理があって、その効果を人の都合で発現させるものであるのだろうと。
で、そうやって魔法が解明されたとして、それを魔法と呼んでよいものですかね。
召喚、という術があります。
例えば悪魔を喚び出して、その力を借りて何かする、というような解釈で良いんでしょうか。
悪魔を実際に見た・会ったと主張する人は、あんまいないと思います。
でも、悪魔の存在を信じる人は、まあ昔はそれなりにいたのではないかと。
実際に魔術の儀式を行った場合、確かに悪魔が降臨したのだと信じる事もあるでしょう。
あるいは、こっくりさんでもいいんですが。
彼らはあるいは、魔法の力が行使された瞬間というのを、確かに見たのかもしれません。
いや、何を言いたいのかというと。
この悪魔というのが、どうもこの前の「神」に似た感じの存在なのかもしれないと。
(説明の便宜上の表現だけれども)科学的に根拠のあるある現象があって、
それが一連のある魔術で再現される。で、それは中々一般人には理解しがたい現象で、
何か超常的な力が働いているように見える。その解釈として
悪魔の一人をその力の行使者として仮想し、格を持たせたような。


その時、悪魔というのは実在しているのかもしれないと。
存在というのは、人(に類するもの)がそこに何物かがいるのを感じる、という事だと思います。
集団で魔術を行えば、多分その場にいる人は皆悪魔の存在を信じているんでしょうし。
複数の人間によって観測可能なものを、非実在と断じてしまうのは適切でないような気がします。
人の判断は曖昧で、当てにならない。実在の是非は何らかの観測機器を用いて論じるべきだ。
と、言う人は多いだろうと思いますというか、私はそう思うんですが。
ある意味では、人間の感覚というのも非常に精巧で微妙な観測機器とも言える訳で、
つまり、人間並みに精巧で微妙な(思い込みの要素も含む)機器があれば、
その存在を観測してしまうかも知れない、と。
「ある」というのはどういう事なのだろうかと、思ったりします。