と、そのようには言うものの、ですが。
「役」という観念には、普段あまり自覚されない、別の含みがあるわけです。
役は人に割り当てるものであると同時に、その人に貼られるレッテルでもあります。
ひとたび人に役を割り当てれば、その役を貼りかえるまでは人に付き続ける、
なので、通常役は人に付くものとして理解されているわけです。
また、人に付いた役名はその人の能力も暗示しています。
元々能力があってこそ、その役割が与えられる筈なのだから、考え方としてはそのままです。
その人の本質的な能力はまた別として、下役は上役に頭を下げておくのが常識なわけです。
そういう発想があるので、「役」=「能力」というイメージが頭の中にできてしまい、
役不足という言葉が、力不足と同じような意味になってしまう、
そういう誤解があるんじゃないかと思うわけです。ちょっと自信ないケド
実際、人と役を剥離して考える本来の意味の方が、現代語的にはやや不自然な感じもします。


ありがちな表現ですが、言葉は生き物です。
役不足」も、よくある間違いという用法で一般に認知されるに当たって、
例えば、「彼には役不足でしょう」などと表現した場合に、
役目が軽すぎるという意味を前面に出しつつも、実は彼には向かないんじゃないかという
意味を暗に込めて皮肉っている、そういう使い方をすることもできるわけです。
仮にそんな形で有名な作家の作品に使われでもしたら、辞書もいずれ2つの用法に対応せざるを得ないでしょう。
誤解を極力避けた表現を用いなければならない職業や場面というのはあります。
そういうところでは確かに、ヘンな言葉の使い方は良くないとは思うんですが。
普通の会話や、文章作品とか、BBSとか。
そういうくだけた表現が許されるケースでは、人と共有しているその言葉のニュアンスを
活用し、自分が言いたい事に最も適切な言葉を用いるのが、その人の日本語の感覚を
表しているのだと私は思うわけです。


うん。何だか少し、本気で真面目に語ってしまいましたが。


ぶっちゃけた話、「役不足」も「確信犯」も、それが誤りだと指摘されなければ、
とりたてて誤りと言うほどの表現でもなかったんじゃないかと思うんですな。