「言語」を[11/15]のような意味で概念を拡張すると、
「他とコミュニケーションをとるためのアクション」というものと考えることができます。
「他」というのは、例えば他人で、例えば動物でもいいのですが、
例えば無生物をも含めてしまうことを考えてみます。
キーボードを打つと、文字が表示される。これも一種の言語によって
PCとの対話を行っているという見方ができます。
この「PC」はあくまで「PC」という概念であって、実際には計算機とかモニタとの
色々な動きによって対話という現象が構成されているわけです。
裏返せば、「人」との対話もあくまで「人」という概念との対話であって、
実際は脳や声帯とかの色々な働きによって発現されているという見方もできます。


普段は何ともないのに、たまにPCの調子がおかしくなって、
しばらく使っていたら何だか治ってしまった、ということがありますが。いやきっと原因はあるんだろうけど
その状態は平たく言えばつまり、「ご機嫌ななめ」ということなんだろうなと。


「あくまで」を広辞苑で調べたら。
あく‐まで【飽く迄】《副》
十分に。徹底的に。どこまでも。「―も戦う」「―しらを切る」「―澄みきった空」
でした。
よく見かける「あくまで」は、ちょっと違う意味で使われてる感じです。
そのよく見かける方の用法、意味を説明する適当な言葉が思いつきませんでした。
なんだろう。「あくまで」って。
問.「飽く迄も」の意味を説明しなさい。
国語の試験にどうでしょうか。