定義らしい定義は無いのですが、
頭の中に、なにかもやもやした曖昧な、判別装置みたいなものができているのでしょうか。
その装置の中身の仕組みは不明なのですが、ある音楽を入力すると「南米風です」のランプが点滅する装置なわけです。
その判別装置はどうやって作られたのかを考えてみると。
とりあえず、音楽の分析装置が既に頭の中に完成されていることにします。
その分析装置は、音楽を入力すると、その音楽の特徴性を出力してくれるのです。
解り易いところでは、テンポ、曲調、構成楽器、音域、印象とか。
たぶん、通常の人は思い付かないような抽象的なレベルでの分析も行われているのではと思います。
音楽を聴いたときに、そういった音楽的特徴と「南米」の地域情報をセットにして、
頭の中の音楽担当の人に渡しておくと、後でその人が「南米」ラベルの音楽をリストアップして、
共通した特徴をレポートしてくれるわけです。そのレポートに基づいてパンチカードに打ち込んで、
判別装置にそのパンチカードをセットすると、特徴に基づいた分類をしてくれるとか。
後半、たとえ話に無理があります。何を言いたいのかよくわかりません。


たぶん、人間が生まれたときには、頭の中にはほとんど何も無いのです。
最初に原始的な音声分析装置を作って、外界からの入力値を分析して。
他人が音を発声していると判断し、それが自己に向けられた何らかのメッセージであるようだと
推測したら、人の音声の分析装置を作って。
言語の複雑性を知るにつれ、その装置を改良を続けていくんだろうと。
そういう機械が頭の中にたくさん造られていって、その過程が「わかる」ということなんだろうと。
情報の蓄積→パターン化→分析装置作成→整理された形での情報の蓄積→さらなるパターン化
うん、何を訴えたいのか自分もよく分からないんだけどね。


「リクツじゃないんだ」
というキャッチコピーが以前あったと思うのだけれど。そういうわけなんだね。
理屈が無いので信憑性が無い、とは限らなくて
フィーリングが的を射ているということもあるわけだね。
理屈が有れば信憑性が高い、とは私も信じるところではあるのだけれども、
なぜそう思うかというと、今まで理屈を信じて概ね成功しているという経験則からのもので、
理屈を信じるのは、理屈じゃないわけだね。きれいにまとまったね。