スーパーでレシートを受け取って、ふと思った事。
買った物リスト、まさにデータそのものと言えるこの紙切れ、いずれ電子化されるのだろうなと。
そうすれば、家計簿付けるのがすごく楽になるなあ。
そのデータを受渡しする方法を考えた場合、必要になるインターフェースは電子マネーとほぼ同一のように思われる。
ネット経由って手もあるのですが、恐らく、おさいふカードとかそういった媒体を
利用する事になるのだろう。
電子マネーと電子レシート、どちらが重要度が高いかと言えば、電子マネーの方だろう。
とすれば、電子レシートなんて物が使われる時代なんてのは、既に電子マネー
そこそこ普及している時代なわけだろう。
電子マネーがそこそこ普及している時代。
今はまだ、一部企業がマーケティング目的等で普及に努めているぐらいのレベルであるけれど。
その利便性が認知されたら、そのうち正式に政府発行の電子マネーカードが使われるようになるのかもしれない。
貨幣が無くなる、かもしれないのか…。


某所でミスタードーナツの店舗改装が行われておりまして。
店舗前で、食器類が幾つか、ご自由にお持ちくださいになっておりました。
なんか気に入って、小皿とガラス皿を1枚ずつ、持ち帰ってしまいました。
ミスドのロゴが入っております。
マック等ではなく、ミスドなのが良し。(何となく)
モスでも良いが、ミスドならなお良し。(何となく)
すかいらーくよりも、やはりミスドのほうが良し。(何となく)
…でもバーミヤンには負けるかもしれない。(何となく)


無印良品のネーム印、なんか良さげです。
ボディはアルミ。印面をあとからオーダーでき、文字とインキ色、書体を選べます。
1000円。お手頃です。


自分はいずれ死ぬ。時間はまだ多くあるかもしれない、残り僅かかもしれない。
自分は本当にこのままで、自分が生きた事に決着を付ける事ができるのか。
自分はそれまでに何をしなければいけなかったのだろう。
ふと気が付けば、ただ安穏と毎日を消費している自分がいる。
日常の瑣末な作業に囚われ、何一つとして意義のあるものを産んだ事の無い自分がいる。
この瑣末な作業が、いずれ大きな実を得る為の礎となるのだ、と言い聞かせて。
本当にそうなのかも知れないが、実証できないならば、言い訳に過ぎない。
あの時は頑張ったから、それでいい、仕方ない、のか?
焦る。自分は間違った事をしているのではと、ただ焦る。
焦りは行動の動機付けにはなるが、精神にはあまり良い影響を与えない。
と思っていても、焦りは押さえられない。
自分は向上しているから、大丈夫だ。
自分は人より遅れていないから、大丈夫だ。
一体何が大丈夫だと言うのか。
では自分は、何をすべきか。
無い。
するべき事など無い。
人の役に立とうが、社会にどれほど大きな力を与えようが、如何に得がたいものを得ようが、
自分から見れば、それは単なる自分の身の回りに起こった出来事に過ぎない。
ただの自己満足、自己不満。
自己満足でいい。でも少なくとも、自分だけは十分騙せる程度の満足でなければならない。
ならば何かしてみろ、と人は言うだろうか。話はそれからだと。
ならばその人は、私が何かをやり遂げても私の欲するものが得られなかった場合に、
私が浪費した時間に相当する価値を私に返す事ができるのだろうか。
私がやり遂げられず、人生に負った重大な損失を補填する力があるのだろうか。
その時間を他に当てれば得られた何かに対する可能性を、正しく評価することができるのだろうか。
それが出来ないのだとすれば、酷く無責任な提案だ。
そんな適当な提案に、誰が乗ったりするものか。
それでも、時間は刻々と過ぎていく。
悩む事で、正しい道が見えているのかもしれないし、結局誤った道が浮かび上がってしまうのかもしれない。
悩まずに行動しても、良いものが得られるかもしれない。
今は悩む事に時間を使う事を選択し、それは無駄ではないし、無駄でもある。
結局、今自分があるように生きる事しか出来ない、と結論を出し、問題は何も解決しない。
必死に生きる事は、それはある種の感動を誰かに与え得るものかもしれない。
しかし、
だから、何だと言うのか。全て無駄な事だ。


…と、私の脳内人格のネガティヴさんが仰っていました。


ネガちゃんは、和やかな談笑の場で水を差すような発言をして、
急激に雰囲気をクールダウンさせる技の持ち主ですが、
根はまじめで仕事はきちんとするし、悪い人ではないのです。


…てゅかまた変な自己防衛技を編み出してしまったのかも。