ツボに入れて蓋をする、の意図する所は、遺体を一つ所に留めておきたいという意思なのだろうと。
一つ所に集めておけば、魂の還る場所を残す事ができる。死後は現人にあらずとも、
その人だった何かはそこに在り、墓に参れば、その人のようなものに会うことができる。
粉々にしてしまえば、その人は世界に薄く拡散してしまい、その人の「らしさ」は消失してしまう。
この言わば「死に方」は「生き方」に通じるものがあるようにも思ったりする。
既存の関係を大切にし、変化を厭う、今の状態を保つ事を第一に考えるか。
他との関連性を薄くし、変化はあるものと受け入れ、流れのある世界を好むか。


流れは形あるものを脅かすものだけれど、システム全体を清浄に保つ効果があると思っている。
物事が正しくあるためには、風の通り道を考えてシステムを設計する必要があると思う。
流れの滞る所は、澱み、腐っていく傾向がある。
人体にしても、自然の池にしても、社会の構造にしても。


流れは、生成と破壊を促進させる。
生成と破壊とは、代謝である。
代謝が行われない組織は、不健康である。
システム作りで人が良く陥る過ち、と私が思っているのが、
既存の構造を残したまま、増築のように継ぎはぎで機能を追加してしまう事だ。
ソフトウェアのプログラムなんかだと、正にそれは悪手である場合が多いのだけれど、
それは、例えば家を建てる事にしても、他の何かの管理においても同様だと思う。
元々それがアダプティブに設計されているのならともかく、当初予定されていなかったものを
接合するというのは、基本的に無理がある。
見た目に美しくなく、シンプルでない構造になる。そういう構造は幾つかの部分に負荷が
掛かり易く、バランスが悪く、時に悪性の病巣となり、全体を死に至らしめる事もある。
良いものを作るためには、既存の不要のものは解体しておく必要があるのだ、と
その時は勇気をもって、古いしがらみ、情念はそれなりに切り捨てて新しい物を創っていかなければ、
そういう直観を、自分は何となく持っている。


正常な代謝が行われている系では、生成・破壊は繰り返されるが、その中で
良い構造は安定し、永くもつ。
安定するのは無理がないということで、無理が無いとは構成員が苦しくないということである。