「外柔内剛」も、かなり好きな言葉、というか
そういう人に私はなりたいと思う性質の一つだなあと思う。


ハゲはなぜダメなのか。と思った。
ハゲはなぜか、本来の性質以上に否定的なイメージを持たれている感じがする。
髪が薄くなるというのは確かに、老化現象の一つで、精気の衰えを感じさせるもので、
人としてあまり好ましい状態ではないのだけれど、でもただそれだけの事なのに、
侮蔑の対象であるような、しばしば誹謗中傷のシンボルとして用いられるような
価値観がかなり浸透している。
ハゲを多少なりとも恥と感じる人間は、少なくないと思う。
確かに、ハゲはみっともない。 こともある
明らかに本数が減少しているのに、無理やりまだ息のある部位から毛を引っ張り込んで
比較的ハゲでなさそうな感じに見せようとする涙ぐましい努力は、あまりに見苦しい。
しかし彼がなぜそうするのかと言えば、ハゲを認めるのは恥ずかしいからである。
なのに、なぜハゲが恥なのかを考えると、???なのだ。
むしろ、つるっパゲにしてしまえばいいのだ。見苦しくもなんともない。いやむしろ美しい。輝く程に。
ポリシーを感じさせる佇まい。清々しい。とても潔い。
ちょっと怖い生業の人かもしれないというイメージを与えそうな気もするけれど、
半端ハゲよりはマシだろう。ハゲを恥に思う坊主なんていないはずだ。
くりんくりんの天然パーマだって、見苦しさではいい勝負だと思うのだが、
別にコレは、とりたてて特殊なイメージを持たれてはいないと思う。
自分の天パを気にしている人はいると思うが、ハゲのそれとはちょっと性質が異なる。
縮毛矯正をしても、単なるイメチェンのようにしか思われないが、
植毛やヅラをすると、ハゲを隠したいかのように思われる傾向がある。フシギな事に。
まとめると、
つるっパゲは恥ずかしくない。
ハゲを隠すのは恥ずかしい。
ハゲを隠すのは、ハゲが恥ずかしいから。でもつるっパゲは恥ずかしくない。
ハゲは恥ずかしくないけど、恥ずかしくてハゲを隠すのは恥ずかしい。
謎だ。


それとも実は、髪の毛を残したがる人々は、恥とか見てくれを気にしているのではないのだろうか。
刈り取ってしまうともはや2度と戻って来ないであろうフサフサ感を、
失う事が恐いのだろうか、人として。
耳たぶは集音ぐらいにしか使えない部品だけれど、切り取ってしまえば生えてくる事はない。
そう簡単に失いたいものではない。
そういうものに似た感覚なんだろうか。