お金について、考えたりする。
金が欲しい、と言う人がいる。私もよくそう思う。
金があれば幸せになれると思っている人がいる。金が無いので不幸だと思っている人がいる。
金を得る事が人生の一つの目標だと考えている人たちがいる。
それは、危ないと思うのだ。
金を得る事が目的になってしまっているのはおかしい。本来の意図を見失っている。
実際的な問題としては、生きていく為に金はやはり必要ではあるし、現実、金は機能している。
ただ決して忘れてはいけないのは、人が本当に必要としているのは、
金を払って得られる食物、生活、医療、その他のサービス・物品だということである。
「だから金があれば、そういう物が手に入るじゃないか」と言われるかもしれないのだけれど、
必ずしもそうとは限らない。
金を払えば物が買えるというごく当然の認識は、物を売る人が存在している事で初めて成立する。
売る人がいなければ、金がいくらあっても全く無意味である。
まだ「そんなん、あたりまえやん」と言われると思うのだけれど、
それはつまり、飴玉を売る人が100万円と言ったら、100万円払わなければ飴玉は貰えないし、
売る人が絶対売らんと言えば、それを金で買うことはできないということである。
そうやって何にも使えない金があるとすれば、それはただの紙切れ、または金属の欠片、
あるいは通帳に書かれた数字に過ぎず、それ以上の意味はもたないのである。
「でもそれは極論で、現実には金があればものは買えるでしょ?」と思われると思う。
極論である。極論なのだけれど、そういうたとえのもっと小規模なレベルの事は、
現実に目まぐるしく起こっていて、金と物の価値は常に変動している。
そして、何かとんでもない事件が起きて、30年掛けてコツコツ溜め込んだ金の価値が
一瞬で消滅するという可能性はまず無い、とも実はあんまり言えないのである。
金があれば何でもできるし、金の価値はずっと変わらない等と思っている人は、
それはちょっと盲信というものだろうと思う。自分の欲しいものランキングで、
「金」が高位に来すぎている場合は、注意するべきだと思う。
金は単なる媒体に過ぎない。
金そのものが必要なのではなく、金によって手に入るあれこれが、人が真に欲しているものである筈だから。