蔑まれたり、高圧的な態度をとられたりすると、腹が立つのは何でだろうと思う。
基本的に、腹を立ててもあんまいい事はないのである。
理性が弱まるし、苛々するし、そもそも腹を立てている状態そのものが非常に不愉快だ。
許してしまえばいいのである。
要点を押さえて、必要な所で反論するだけでいい。相手の機嫌まで取る余裕があればなおいい。
それで、何も困らない筈なんだけれども。
怒った結果状況が好転したなんてのは、ケガの功名とか雨降って地固まるとか、結果オーライ的な事例で、
大体は失敗に繋がる感情であると思う。
怒だけじゃないけれど、そういう悪い状況ばかり導くと思われる性質を人が未だに捨てられていないのは、
なにか意味があるんだろうか、と。
怒りや妬みの感情が、生存競争を勝ち抜くために必要なものだったのだろうか。
時には破壊的な衝動を引き出す事が、健全な自然界を維持するために必要なものだったのだろうか。


子供は、周りの人間を手本にして、そのまねをして、成長するのだと、私は思っている。
もし、極めて理性的に成熟していて、怒りを直接表に出さずに振る舞える人間達の中で
子供が育てられた場合、その子供は怒りの感情を知ることはあるんだろうか。
そのような子供は、ある意味歪んでいるともいえるか。