再考してみる

03/03の日記で、「年が若く改革派であるという理由だけで支持される/されない」のではないか?という事を
私は書いているのだけれど。
つまり改革の中身を吟味せず「若者・改革」に条件反射的に好き嫌いを決めていませんか?という疑問を
投げているわけだけれど、よく考えてみるとそれは「だけ」という程に小さな問題では無いのかも
しれない。「若者・改革」という条件が揃えば、十分に嫌悪の意思を持つだけの理由に
なるのかもしれない、老人にとっては。また若人にとってはその逆で。