何が気に入らないのかといえば

判で押したような表現が嫌なのですよ。
「本当の友達」「自分を演じている」こういう言葉を最初に作り出した人は、素直に偉いと思っています。
その人の感覚をうまく日本語に変換できた、とても素晴らしい表現だと思うわけです。


ですが、色々な人にパクられ、ろくに深い考えも持たず濫用されてしまううちに、非常に陳腐なものに
されてしまった感じです。もうこんな言葉、真顔で使う気には中々なれません。


最初に使った人は、自分の内面から沸きあがるものを正確に描写しようとして、この短い表現に納めたのです。
後からコピーした人の大半は、この言葉を聞いた後で何となく自分に似た感じを持ち、この表現に自分を
当て嵌めたのだと思います。そして、自分もそうなのだと思い込んだ。
恐らくは、方向が逆なのです。多少の誤差を無視して、自分の形を歪めて言葉の形に嵌め込んだ。


元々が美しく、繊細で優れた表現だと思うだけに、あまりしょぼい例で多用して欲しく無かった感じですね…。
誰に言っても仕方の無い事なんですが。