「本当の友達」

とか、「自分を演じている」とかの系統の表現が、あまり好きではありません。


困っている時に助けてくれる。馴れ合いでごまかさず、悪い事は悪いとはっきり言ってくれる。
等の一定の条件を満たす友人の事をそう呼ぶ、のかどうか私は良く知りませんが。
本当の友達とウソの友達を切り分けるということは、例えばウソの方の友人とは
交友関係が切れてしまっても特に問題無くて、お金に困っていても助ける必要は無くて、
何の脈略も無く突然電話が掛かってきて高性能の洗濯機の購入を勧められても、無視して放置でよい。
そういうことなわけでよろしいんでしょうかね…。
「本当の友達」とその人が言う所の意味を汲み取る事が出来ないわけじゃないんですが、
なんかこう、ちょっとミーハーな人かもなあとか、少し悪意を持ちつつ感想を抱いたりします。


「良い子を演じている」そういう自分が嫌、という。これは中高生ぐらいの女の子が割とよく使う表現かも
しれませんが。
これもまあ、彼女が悩んでいる事はまあわかるのですが、何というか、
常に自分の気の向くままに、人の気持ちの配慮もせず、わがままに行動されては他人の迷惑になるわけで。
他人への迷惑に頓着しなければ、それは自分への不利益となって返ってくる、直感か理性かで
そういう事を誰でも計算していて。一定の自制心は誰もが持っていて、表に出す自分の量はそれなりのさじ加減で誰もが調整しているのであって。
逆に、完全に自分を隠蔽する事も誰も出来ないのだから、特に彼女が特別だということは何も無いわけですよ。