人の心は金で買えるか。

売っている人がいれば、買える。ただそれだけだと思う。


もっと身近な例で考えれば、例えば会社勤めのサラリーマンなんかは、
心を売りに出している人が多かろうと思う。
僅かな賃金のために、やりたくない仕事をしている人、不満のある人なんかはそう。
契約上の守秘義務に縛られて、言いたい事を言えない人も、そう。口止め料みたいなもの。
今の地位を守るために、自分の本心を黙殺して会社の弁護にまわる人もそう。
別にそれが悪いといっているのではなく(いや本心としては思ってるけど、仕方ないは仕方ない)、
いわゆる世間で使われている意味での「心を売る」という行為にきちんと
該当しているだろう、ただそう思うだけ。
サラリーマンでなくとも、類似の例はいくつかあるだろうと思う。


100万円と交換で、知り合いを裏切れと言われたら。
私は、基本的にはその提案には乗らない筈だと思う。
100万円では安すぎるから。
でもこれが、1000万、1億、10億と順々に上がっていけば、その話に乗る可能性は
徐々に大きくなってくる。1億なんて金は、一般人がそうそう手に出来るものじゃないから、
自分の人生において、かなり別の可能性が見えてくる。
たった人ひとり踏み台にするだけで、1億貰えるなら…という気持ちは、それなりにある。
(もちろん、それは自分を構成する重要なものを捨てる行為でもあるから、簡単に判断は下せない)


「踏み台にされる人間の気持ちを考えてみなさい!」
と、怒られるかも知れない。
もちろん、私に人を思いやれる大きな気持ちがあれば、そんなことはできないだろう。
なければ、できるだろう。


じゃあ100万ではそんな事はしないか、と言われれば、そうでもない。
例えば、子供が死にかけの病気になり、「手術に1000万かかりますッ」言われて、
方々駆け巡ってお金を集めたけど、どうしても100万円足りない、そんな時。
知人を裏切らない事と、子供の命を守る事と、どっちが大切か。
例えば、全くお金が無くて、もう何日も食べてなくて、そろそろもうダメっぽい時とか。
例えば、薬の禁断症状が10時間ぐらい続いている時とか。


逆にもし、私がそれで裏切られる側の人間だったら。
私は彼の人を恨みもするし、許しもしない。でも相手の気持ちを考えるなら、理解することはできる。
全く意味も分からず裏切られるのと比べて、金のためと分かっているのであれば、
少しは納得できるかもしれない。
彼を信頼した私は愚かだったが、私の人間性の面で間違っていたのではなく、彼の行動の理由も分かった、と。