『他人と反対方向を見るクセ

のついてる人間にトリックは通用しないとゆーことだ』
パタリロ!を読んでいたらそんなセリフが出てきて、妙に心に留まった。


このクセは諸刃の刃となるもので、例えば劇場内で火事に出くわした時に、
皆が一つの出口に殺到する中、他に出口はないかと探すようなクセの事だと思う。
他の出口が見つからなければ、当然最優先で焼死することになる。


諸刃の刃とはいっても、こういった変な人間はとても貴重な価値がある。
唯一の出口に、劇場内の全員を解放するキャパシティが無かった場合、必ず一定量の死人が出ることになる。
だけども、変人が万が一にでも別の出口を見つけることができれば、その事故の生存率が大きく底上げされる。
仕切られた系の中に特殊な個体があることは、生物の種としての生命力を高める事につながる。
生物の一つの究極目標が生き延びることにあるとすれば、個が互いに多様であろうとする意志は、
かなり絶対的な正義なのではないかと思う。


というふうに、
他人と反対方向を見るクセは(特に即断を要する状況では)必ずしも安全なものではないけれど、
いくつか重要な事項を確認した後に、人と違う視点で観察するということは、
情報探索のやり方としては効果が高いと思う。
誰でも気づくようなことは、たとえ自分が気づかなくても、人づてに後から知らされる可能性が高い。
だから、自分はなるべく誰もが気がつかないような事に気づこうと努力する必要が、あると思う。


そのために、
他人と「反対方向」を見るという行動を「クセ」にすると意識することは、そこそこ意味のあることだと思う。
自分が漠然と感じていたことを、改めて言葉として見せられたような気がした。