blogを書く人を考える

blogや日記サイトのむこうに、人がいる。
それを書いているのは、ただの、普通の、人間だ。
その人間は、聖人君子や極悪人でもなく(あるいはそうなのかもしれず)、恐らく人工知能や宇宙人ではなく、
あるいはアメリカの大統領が素性を隠してるのかもしれないし、
あるいは優れた地位や能力の持ち主でも、優れていない部分はそれはそれでそれなりに普通の人間だ。


blogを読んで、その人の人となりを理解した気持ちになってしまうかもしれない。
というか、私はうっかりやってしまう。blogを読んで、この人はこういう人かなと判断してしまう。
勝手に好感を抱いて、ある種尊敬に値する人だと判断してしまう。
けど、それは実際、一種の幻想であったりもする。


その人が書いている以上、その人の中身とblogの内容が完全に乖離することはないだろう。
でも、blogがパブリックな物であることを意識する人間は、内容をアップロードする前に、
一応最低限の推敲は行うだろう、と思う。
つまり、言い間違いを無くし、分かりやすく整理し、不適切な表現を除き、
読者に好感を持たれる内容にする。(ぐらいが一般的な修正で、どう直すかはその人の方針にもよる)
そのように作られたものは言わば、blogという作品であって、その人の素をそのまま文章にダンプしたものではない。
その人はblogを公開しているのであって、自分自身を公開しているのではない。
読者はその人の作るblogを理解することはできるけれど、必ずしもその人自身は理解できない。


それはオフラインで接している人間に対する認識についても同じ事である、とも言えるかもしれないけれど、
でも、正確さの差はやはり、あるんじゃないか、なあ。


その人はきっと、プロのクリエイターではないから、作品から素の部分を除こうと普段は意識していても、
素が混ざってしまうこともある。怒っているときとか辛いときとか、精神が不安定なときは、よくある。
それは、読者にとって不愉快な、品質の悪いものになっている事が多いけれど、
その人の真の人となりが垣間見える瞬間でもある。


人の作品を見て、勝手にその作者の人格までを類推して、過剰な好感評価を抱き、
うっかり作者が本心を漏らしてしまった時に、勝手に幻滅している人(私もそうだけど)を見て、
なんとなく感じたことを書いてみたりした。