動機

人を殺す人間を、私は好ましくは思いません、が。
ある人間が、生涯かけて得た結論がそうするべきであるという事なら、
それはそれで、私はその考えを(究極的には)否定するつもりはないのです。抵抗することはあります。


「生涯かけて得た結論」です。
馬鹿でも馬鹿なりに可能な限り最大の労力を費やして得られた結論としての信念の事です。
邪であっても、深い考えあっての事なら、それでも許容できます。


客観的な立場で大雑把に考えれば、自分と他人の命は等価です。
他人の人生は、自分の人生一個分の価値に相当します。
人を殺す価値は、人に殺される価値と同等であり、その価値の大きさを受け入れて、行為に及ぶべきです。
快楽殺人が、犯人にとってその快楽が、殺人を代償にして得られる程の至高のものであれば、
殺人でなければ得られないのであれば、
殺人の重さを理解してその重さに匹敵する程の快楽であるならば、
私はそれを行う人間を、一応理解する事はできます。


私は、逮捕された後に改心する類の殺人者は、最も許し難いと思うのです。