死刑

2人殺した未成年が死刑になってしまうと、「2人やっても3人やっても同じ」という理屈が
成立してしまいそうなのが気になる。


光市の母子殺人事件のような例だと、遺族の情も理解できるし、世論の支持もあるし、
相応に重大な犯罪でもあるから、「死刑」に持ち込んでしまうのは、どうしても簡単だ。
簡単だからこそ、刑罰の算定は慎重に行われなければならない。


その一方でこの件が微妙なのは、2人殺しているとは言っても、未成年による1回の衝動的犯行だという事で
これが本当に死刑に相当する犯罪なのか、どうも引っ掛かるものが残る。
もっと明確な悪意による極めて残忍な犯行の例が、いくつもあるからだ。その犯罪者らはみな死刑になるのだろうか。
それならそれはそれで別にいいのだけれど。
若干話題性が先行しているきらいがあり、マスメディアも加害者の手紙と称して、
なんだか視聴者の感情を煽る部分ばかり取り上げているように感じられて、いつもながら不愉快だったりする。
本村氏には好感を持っている。その心情には同意したい、けれども。


三者被害者感情に安易に同調して、量刑に影響を与えてしまうのはまずいことのように思う。
とすると、被害者の考えに関係なく、裁判所は粛々と加害者の刑罰を定めるのが正しいのではと思われてしまうが、
そうなると、被害者は精神的に全く救済されないことになってしまうんだなあ。


刑罰は誰のためのものであるのか、誰のためのものでなければならないのか。


全く、考えがまとまらない。