コミュニケーション力

という言葉が嫌いだ。この言葉を使う人間の多くは、要求を正確に伝えることや
自分の意図を理解して貰おうとする努力を放棄しているように感じる。
この言葉はいかにも造語的で、非常に概念が曖昧で、曖昧なイメージそのままを相手にぶつけるものであって、
相手に何かを求めるときに適切な用語ではない。(外来語・「力」という言葉は大抵そういうものだけれど)
要は、言っている本人が何を求めているかを自覚していない言葉であって、こういう用語を得意気に
使用する人間の発言は、大雑把に言って信頼に値しない。
殊にこのケースが耳に障るのは、まさにその当人にその「コミュニケーション力」が欠如していると思われる事だ。


それはそれとして。
「コミュニケーション力」の一端であり、その神髄に近いところにあると思われるのが、
主に口八丁で人を意のままに動かす力であろうと思う。
ただ単に他人と仲良くできるというだけの事ではなく、
部下のやる気や興味を引き出し、彼が自分の意志で成果を上げる事を欲するように仕向ける。
上司の判断が誤っている時に、顧客の要求が不利益に繋がる時に、相手の気分を害さずに
問題点を提示したり、要求を拒否することができる。あわよくば、自分の希望に添うように話をすりかえてしまう。
そういった、要所を押さえた効果の高い交渉術であると。


ずる賢い感じではあるけれど、こちらが得をしてなおかつ雰囲気は丸くおさまるというテクニックは
やはり優れたものであると思う。気持ちの問題は、しばしば実利よりも重かったりするのだから。


無連絡で5分遅れるより、5分遅れた後連絡して30分遅れる方が印象が良いとか、
相手の解らない言葉で煙に巻くよりも、多少不正確でも相手の理解できる言葉で苦しい状況を伝え、期間を多めにもらうとか。
そういうことなのだろう、と。