A級戦犯

日本国内からの歴史観で言えば、昭和天皇A級戦犯と同じ括りの戦争主導者であろうと思う。民衆から見れば。
軍部暴走への流れを食い止められなかった、その理屈は、一人のA級戦犯にとっても同じようなものではないかと思う。


当時の普通の倫理感覚として、戦犯らは自分の判断を正しいと信じていたのではないかと、私は思う。
彼らを仮に愚かと評する事ができるとしても、悪い人間だと非難する事は私には抵抗がある。


日本国外からの歴史観で言えば、A級戦犯は悪人である。それはいい。日本は対外的にそれを認めたのだし。
だから外交的に、戦犯は犯罪者ではない等と主張する事は非常に問題がある。


戦犯が悪かどうかについて、私は2重基準で捉えている。
「他所様に迷惑を掛けた」のは、やはり理屈として認めざるを得ない所だろうと思う。彼らは犯罪者である。
しかし、彼らは進んで日本を滅ぼそうとしたのではないし、日本人の命を失うことも大いに不本意であったと
私は思う。彼らなりの努力が裏目に出てしまったとして、死んだ後まで未来永劫、彼らの精神まで否定するのは
いかがなものかと、私は思う。


倫理観は変わる。
現在は平和が正義であるような感覚が世界の多くを覆っている。
この考えは確かに、世界全体の利益で考えれば優れたアイデアであるように思われるので、
滅多なことでこれが覆されることは無いのかもしれない。
でも、滅多でないことが起これば覆されることはあると思う。
100年後、世界戦争でも起きたときに、現代の感覚の判断で国の軍事化が遅れ他国に占領されてしまった場合、
それが正しい倫理観と言えるだろうか。少なくとも、100年後の多くの人間は正しくないと、平和ボケしていたと、評する。
100年前から日本はダメになっていたと。戦前の日本が実は本来あるべき姿だったと。


変わるから、だからこそ現代にあっても、戦争賛美の時代があったとして、その時に生きた人間の精神を、
別の世界の人間が安易に貶めてしまうのは悲しいことのように思われてしまう。