ライトのベル

RPG等には、プレイヤーの感情移入を誘起するために、意図的に主人公の主張を殺しているものがある。
これは、ゲームというものが基本的にインタラクティブであったり、プレイヤー主導で場面が展開
されたりするものであり、プレイヤーは単なる観客ではなく積極的に作品の世界に入り込む傾向が強いという、
媒体としての特性がもともとある。そしてさらにその特性を支援するものとして主人公の個性を消すという
からくりを加えているのだと、考えることができる。


しかしまあ、媒体はゲームに限らなくても別にいいじゃないか、というアイデアが、個性のない
主人公を部品に構成したライトノベル、だということなのかもしれない。
旧来形式の小説が読者を世界から切り離した観客として位置づけているのに対して、
新しいものは読者を主人公と一体化させることを意図して、読者を世界の一員に加え、
読者にその世界を擬似的に体験させることを主眼に置いた作品と言えるのかもしれない。


そのように、ポリシーがそもそも異なる、というものなのだとすれば、ライトノベルを旧小説の
ものさしで評価するのは筋違いだし、そんな理由でライトノベルを批判したりすると、
「頭が固いんですね」等と最近の若い人に苦笑されてしまうかもしれない。いうまでもなく私も若い人だが。いうまでもないがいっておく。そりゃもう「子供かよ!」とつっこまれるほどに若い。子供は「子供かよ!」とつっこまれたりはしないが


まああえて言うまでもなく、主人公の影を薄くして読者を主人公と同一化させているという指摘は
昔から存在するのだけれど、基本的には「そうなってしまっている」という
やや否定的な見方として語られていることが多いと思う。
むしろその手法を明確に順手に取って、より「体感的」な小説というものを突き詰めてみたりした作品が
あったりしたら、おもしろいんじゃないかと思ったりした。