日本国民の総意で戦争を肯定

させることは難しい事のように思われますが、でもちょっと政治家が本気になれば
割と簡単にできるんかなとか、思います。
日本人の気質として、長い物に巻かれる、他人に同調する、対立を避けるみたいなものがあるので、
それはなかなか悪い面とも言い難いのですが、でも一方向に偏ってわーッってなっちゃうのは
得意な人達だよね、と思います。全員が全員そうだというわけじゃないけども、体制に従わない層ってのは
やっぱり少数派になりがちだろうなと。
それはねー、一つの国民性としてそれもアリなんじゃないかな、有利なんじゃないかなって気もするわけで。


まず手始めに、政治家のお偉いさんがテレビや新聞のお偉いさんに話をつけるわけです。
圧力と言うほど強いものじゃなくて。これこれの理由で日本政府の方針としては今後軍事防衛力の
強化に努めていきたいと考えているので、今後は防衛の必要性や正当性を主旨とした報道を行って欲しい、
また批判的な内容は極力避けてもらいたい、みたいな。
表立って動けば反発する組織も現れるでしょうが、政治家だってもちろん相手を選ぶ訳で。
で、じんわりとトップダウンで社の方針として伝えられ、とりあえず末端のアナウンサーなんかは当然上の意向には従うわけで。
ニュースキャスターは軍備の強化を自然なことだと伝え、番組に呼ばれるゲストも局に都合のいい
面々が並ぶようになるわけで。
で、テレビの人が口を揃えて同じ事を言っていれば多くの国民は、「そういうもんなのかな、それが常識なのかな」
と思ってしまう訳で。
頃合いを見て国民投票に掛ければ、まあ過半数をとるぐらいのとこまで行くのは可能だろうと。
若干拡大解釈可能な含みも加えたりして、憲法を変えてしまうと。
騙されない人間がいても、騙される人間の方が遙かに多ければ法案は可決されてしまうし、
基本的に正当と思える目的のためのの改正であれば、あえて否定する程の根拠は無いと考える人間は多いだろうし、
むしろ武装するのが正しいという認識が世間一般に広まれば、批判する人間の方が煙たがられる雰囲気になるわけです。


そもそも、武装しないのが正しいなどと決まっている訳ではないのだから、
それが絶対に間違いだなどと言える人間は本来的にいないのです。


防衛的な先制攻撃を発言した政治家もいましたが、まあ、そういう解釈も全くナシじゃあないだろうと。
ナシじゃないというのは、状況によってはアリだということだろうと。日本全体の意識がそういう状況になれば、
先制攻撃が国民の過半数によって容認されることも可能だろう。と。


で、
そういう事態が想定されると考えた時、では自分はどのように在るべきなんだろうか、と。