いじめ

いじめに直接関わらずとも、その場で立ち会って何も行動を起こさなかった人を傍観者と呼ぶ事があるけれど、
そこにあるものの本質は「傍観」ではなく「容認」なのだろうと思う。


いじめを見て見ぬふりですますのは良くない。しかし、そのような現場において
いじめられる側を守ることを求めるのは、子供には基本的に荷が重い。
あるいは大人にも難しい。


いじめは「ないもの」ではなく「あるもの」という意識が、基本的にあるのだろうと思う。
強者が弱者を虐げることは、現実には起こりうる。あるいは子供社会においては、それは常識ですらあるかもしれない。
言ってしまえば、いじめに見て見ぬふりをするのは子供にとって自然な行動である。学校の空気がそう言っている。
既にそこに存在するいじめの空気を打破するには、空気を壊す程の気力が必要になる。
多くの人は、空気を壊すことを恐れる。空気すなわち暗黙の秩序を守ることを好む。


であるからして、空気、常識、意識を根っこから変えてしまうのが一番直接的な
いじめ根絶の対処法ではないかなと思ったのだけれども。それが簡単かどうかは別として。


いじめる人間の意識というものは、そもそもどうなのか。
いじめていることに気がついていないというのなら解るのだけれど、明確に悪意を持って
それを行うというのは、どういう理屈なんだろうか。