謝る

日本人には、角を立てないために率先して謝るという習慣がある。
私が悪かったのだから、あなたは悪くないということを積極的に主張する。
その習慣のことは互いに熟知しているから「いやいや」と、返す。
それは美徳の一種として受け取られている。
「悪いことをした」と言っていながら、その人を悪者としては扱わないのだ。


端から見ればそれは八百長や三文芝居のように見えるかもしれないのだけれど、
謝っている本人は意外と本気で、申し訳ないと思っている。
むしろ本気でなければ、謝ること自体が無意味だし、謝られる方も
単なる社交辞令なだけの謝罪を真に受けて喜べるほどのバカではない。
予定調和を暗に予見しているとしても、謝罪の思い自体はそれほどウソではないのだ。


「悪いのは私」と主張して場を収めようとするのは、一種の自己犠牲的な発想だと思う。
何かを犠牲として使うのが効果的なのは、一つの命を犠牲にしてより多くの命が助かる場合だ。
その論理が正当だとしても、他人の所有物を犠牲にするのは…その上都合良く
自分が助かる側に回ろうとするのは、人の道に反する。
しかし自分を犠牲にするのであれば、問題ない、らしい。人の道に反することではない、…という事になっている。多分少なくとも日本では。