逆裁はまだかー

冤罪系のニュースコラム、あるいは、「それでもボクはやってない」とかを観ていて、思ったのですが。
冤罪で捕まったら嫌だなあ。


裁判のシステムは、人類の智慧だよなあと思うわけです。これを考えた人達はえらいと思います。
社会的な罪を犯したと思われる人がいたとして、彼を裁かなければならない場合、公正さを期そうと思えば、
複数人で意見を通わせて、結論を出そうということになります。複数人で意見を通わせる方法論において
最初に思いつくもの、かつ通常それ以外の思いつかない形式が、単純な合議制なわけです。
普通に相談して決めようということです。しかし、昔の人はそれでは公正さにおいて不十分だと考えたわけです。


2つの対立する意見についてひとりの人間が公平な判断をしようと考えたとき、(誰でもそうなのか、私だけなのかは判りませんが)
まず、片方の立場に立ってモノを考えてみるシミュレーションを行うわけです。
この考えはこの点において有利だとか、立場上こういう主張をせざるを得ないとか、この意見を採用しなかった場合の
こちらの損失はどれくらいだとか、一方の味方となって色々考えてみる。
次に、もう一方の意見に対しても同様に考えてみる。
最後に、どちらにも属さない第三者の立場に立って、最も妥当と言えるに近い結論はどこにあるか、を考えてみるわけです。


その時の脳内の働きを複数人で担当して現実の判定システムに落とし込んだのが、裁判の形式なわけです。
弁護側は一方的に被告を弁護し、検察側は一方的に罪を追求し、裁判官はどちらにも与せずに、独自の判断を下すわけです。


そういう仕組みのことを考えると、ですね。
検察・警察側の仕事っていうのは、やっぱり「犯罪者」を作り出すことなんですね。
彼が無罪であるということを積極的に立証する立場ではないわけです。それはもう、そういう役割なわけです。
無罪を求めるのは弁護側の仕事で、無罪の判断を下すのは裁判官の仕事。検察・警察は、人を有罪にする努力を求められる。
と、考えると。元々これは冤罪を発生させやすいシステムではあるんだなあと。


問題がどこにあるかというと、弁護側が事件調査の為の機関を持っていない点かと思います。
調査する権利をほぼ全て警察が握っていて、警察は検察の指揮によって動く。これでは検察の権限が強くなりすぎてしまう。
…つかこれ、なんでこんな形になってしまってるんでしょうか。
本来どうあるべきかなんて、深く考えるまでもないような気がします。警察を検察から完全に独立させて、
第四者の立場で事件の調査を行う機関にすればいいです。警察は検察の依頼による調査を行うと同時に、弁護側の依頼によっても
動くようにする。調査結果は客観的なデータとして、弁護・検察双方が利用できるようにする。
てゆうか、なんで現状はそうなってないんですかね…。何かまずいことあるんでしょうか。


証拠を何でもかんでも洗いざらい解放したら、不確実な証拠ばかりで、犯罪の立証の根拠が限りなく薄くなって
犯罪者が無罪になりまくってしまう、とか?