エヴァ

うーん、やっぱり…面白いと言わざるを得ない。


まだズームイン!!朝!だった頃、福留氏がやっていた頃、ファンと思われるアナウンサーが
ブームの盛り上がりを伝えるニュースで、その魅力を熱烈に語り、福留氏が困惑した風な
苦笑いを浮かべていたシーンが、なんだか印象に残っている。
なにかそういう、少し流行ったアニメという枠を超えている感じは、今観てもある。


まず単純に、映像作品として優れているという部分があるんだろう。弾幕美のような、多くのオブジェクトが
整然とした軌跡を描くような場面は、感覚レベルの爽快感がある。カウントダウンや音楽に合わせて展開する場面、
ダイナミックに視点が切り替わる場面等は、閲覧者の快感を喚び起こすことを目的とした、一種の芸術系の作品と
見るべきなのかもしれない。
考えてみれば、音楽に合わせてカットを入れるという演出を積極的に取り入れた映像を最初に見たのは
このアニメが最初のような気がする。これ以降、他のアニメやドラマ等でも見掛けるようになった。
クラシック音楽とか、無音の効果の活用の仕方とかも、そうなのかも。
そういう鮮烈な演出があったからこそ、私は「これは凄いアニメだ!」と思ったのではないだろうか。


人間関係に対する突き放した見方、重い言葉等も、品質が高いと思う。
何か分かった風なつもりのだけの人間の言葉は、耳掃除でもやりながらでないと聞き続けていられないような
ものもあるけれど、この作品が選んでいる言葉は、後から思い出して深く考え込んでしまうものが多いと私は感じる。


既成概念に捕らわれなさ過ぎのあのラストは、賛否両論、というか否論多数かもしれないけれど、
あれが後世の作家に与えた影響は大きかろうと思う。あの色んなものを放り投げたままのエンディングは、
一作品の完結のさせ方に新たな道を示しただろう。あのような終わり方を、制作者サイドが受け容れることが
可能だということ。視聴者を納得させて完結させることは、絶対に必須の条件というわけではないということ。
常人の作家はあんな事はできないと言うよりも、そもそも選択肢として考え付かないのである。
ストーリーものの作品としては禁断の手法ではあるけれども、その後何らかのペナルティが発生するとの覚悟もあれば、
禁断に踏み込む姿勢もアリといえばアリ、だろう。
結局この無謀な冒険にも、私は新鮮さを感じてしまったのだ。


ついでに言えば、25,26話もなんだかんだでつまらなくはなかったのではないですか? と、世の人に問うてみる。


語り出すと止まらないかも。