冥土の旅の一里塚

新年をただ祝うのではなく、一休の言葉に思いを馳せるの等は、より日本人臭い趣向と言えるのではないかと。


また一歩死に近づいたのだからめでたいともいえねーやな、という事なわけだけども、まあ
そんなことを言えば全ての行動は死への一歩なわけで、もっともらしいようで案外大したことは無い、
一休さんらしい屁理屈でもあるのかもしれない。要は「ご用心」ということでしょうが。


一里塚は、旅のチェックポイントなわけです。チェックポイントへの到達は、単純に考えれば喜ばしいことです。
なぜ喜ばしいかと言えば、目指すべきゴールにまた一歩近づいたからでしょうか。
では、その人生の旅モデルで言うところのゴールとはなんなのでしょうか。
死への到達を望んでいるわけでないとすれば、ゴールは遙か無限の彼方、さもなくば自ら望んで腰を落ち着く事のできる
地というところでしょうか。歩みを止めればそれまでですが、歩き続ければいずれはそういう場所が見つかるかもしれない。
歩いた距離だけ、多くの世界を見聞きしてきた。これまでの道に、留まるべき場所は無かった。
通り過ぎた一里塚の数は、安住の地への手がかりの数を表すものなのかもしれません。