なぜ死刑制度廃止が叫ばれるのか

最近思ったのですが「なぜ〜」というサブジェクトは、何か中身を読ませたくなる力があるのではないかと。
というわけで試しに使ってみたと。今後も使ってみようかと。


で、なぜか。という事を思ったわけです。


「死刑は残虐だから」という論調をよく耳にします。ただコレって何か、ちょっと足りないんですよね。
説得力とか、後に続くべき言葉とかが。
これだけだと単なる感情論のようにも聞こえて「かわいそうだからクジラをとっちゃいけないんだ!」
とかと似た響きがあるわけです。
刑罰は基本的には人権を奪うもので、受刑者が苦痛を感じないものは無いわけですから、ある意味
苦しめるために苦しめているわけです。死刑は残虐で、終身刑はそうではないんだという主張には、
どうも引っ掛かりを感じます。
自分が喰らうのであれば、絞首刑と終身刑とどっちが好みか、というところですが…さて。


もう少し別の見方として、「冤罪の可能性は常に残されていて、誤って死刑を執行してしまった場合は
取り返しの付かないことになる」といった主張もあるようです。これは何となく説得力があります。ありますが、
じゃあ誤って懲役10年喰らって、後に冤罪として潔白が証明された場合は取り返しが付いているんだろうか??
という疑問もあります。
「でもまあとりあえず生きてればセーフじゃない?」という主張にはうなずくところもありますが。


遺族感情云々、と言う人もいます。が、これは個人的にはNGかなあと思います。
それはつまり遺族は加害者を合法的に殺したいと思っているのですという主張で、国がその希望を
サポートすべきだという話になるのではと。
どんなに酷い嫌がらせを受けたとしてもその復讐で殺人を犯せば有罪なのだから、その嫌がらせがたとえ
身内の殺害であっても、復讐を国が支持するということは、正常な思考ではあり得ないと思います。

書いてて何か変だなと思いつつ、気付いたのは読み返した後なのですが、この段落は死刑推進派の主張ですね。大丈夫か自分。


個人的には、そこまで殺人が禁忌とされているからこそ、国の権力であればその行為が行えるという事には
矛盾を感じます。しかし現在の「超重罪には死刑」というシステムは一応うまくいっているように見えるため、
そこを敢えて改革すべきところなのだろうか、という疑問もあるわけです。相当なレベルの罪を犯せば
死刑という認識は国と民の間で合意されていると思うので、その合意の上で行われる死刑は、別段問題ないのでは
という気がします。(が、ここで「冤罪が…」という話がでてくるのでややこしくなるのですが。)


国際的には、日本よりも中国や北朝鮮のように、異常に死刑が濫用されている国家が問題視されているのかもしれません。
また、死刑制度のない国の人間から見れば、死刑という刑罰は非常に野蛮なものに見えることは想像できます。
まあそういう問題に対しては長いものに巻かれておくのも一つの手だと思いますし、自国の制度・倫理観に自信があれば、
適切に死刑を運用していくのだという姿勢でも良いのではないかと思います。


日本において、死刑制度が必要かどうか、という疑問については「まあ無けりゃ無いで大丈夫なんじゃねえの」と思います。
大丈夫じゃない事情って、何かあるんでしょうか。治安は悪くない方だと思うので、死刑制度のない国の刑罰レベルを
参考にすれば、死刑を消すことはそれ程問題ないのではないかと思います。世論の反発があるかどうかが問題なんですかね?


まあ、「なぜ死刑制度廃止が叫ばれるのか」の回答としては、
「そこに死刑制度があるからだ」といったところですかねとかこんなふざけたエントリは真面目な人に凄く怒られそうな気がします。

  • おまけ

モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)

モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)

しばらく前に読んだのですが、死刑について理解するのによい漫画だと思いました。