憲法9条に対して閃く

昨日突然「やっぱり憲法9条は戦力保持の方向に改変しちゃダメだよ!」と思った。
思ったというか、悟ったね。仏陀的に。
背景知識が無いに等しいのでまともな議論はできないんだけれども。
まあ理論的な裏付けは無いのだけれど、オレ的ポリシーが固まった、みたいな? 適当だな


文体のノリがおかしいので、普通に戻します。
要点ですが。
まず、殺傷力を持つ兵器の所持は基本的に悪とする、という直感ですね。これが一つ。
自衛のためでも?と言われるかもしれませんが、まあ、それでも悪ですかね。
その時は、悪に手を染める覚悟で敵を撃ちましょう。
撃つってことは武器を持つって事じゃないですか?という話になりますが、ちょっとその話はおいといてね。


自衛の為の戦力保持を完全肯定するということは、戦力保持を完全肯定することなわけです。
堂々と武器を持つということです。そうすると多分多くの他国は、それに対抗する為の武器を持たなきゃ
ならなくなるわけです。そしてそれに反応して我々もそれなりに、と。使わない予定の武器を用意する。
軍備強化のサイクルに入ってしまうわけです。
このサイクルを壊すには、まずこちらから武器を捨てるしかありません。
危険なんですが、未来に真の平和を望むのであれば、乗り越えなければならない壁です。
多国間で協調して軍備縮小の条約を結んでいくという方法とかもあるんでしょうが、それでも自国が率先して
戦力放棄を実行していかなければ、他国はついて来ないでしょう。
という考えの下で、やはり理想として、戦力を完全放棄できたらいいなという意識を持っているべきなのではと。


武器を持たずに、どう日本を守るのか、ですが。
交渉と、金と、アメリカでなんとかするのが良いと思います。ていうか戦力放棄って言って米軍基地放置かよ!
と言われそうですが、そういう無理を通してでも、多少歪んでいても、平和主義という看板を
押し通すべきなのではないかと思うわけです。日本は。
多国籍軍に加われなくても
「あーウチ平和主義なんで。いやホントすいません。別の形での貢献なら喜んでやらせていただきますんで!」
でいいじゃないかと。
なんていうか、アレですよ。「偽善でもやらない善よりマシ」理論ですよ。偽平和主義でも、
それでも理想として平和主義があって、それを忘れないままに現実と折り合いをつけてきたのが
今までの日本のありかたであったと思うわけです。


日本人は「平和」について比較的強い思い入れを持っているのではないかと思います。
そういう土壌があるのだから、少し本腰を入れて平和に拘ってみるのはどうかと。戦争と戦ってみてはどうかと。
それは他国にも必ず評価される筈ですし、自国の誇りにもなりうるものだと思います。
危険も困難もありますが、うまく事を進めれば国にも世界にも大きな利益を生み出すものだと思うわけです。


もっと整理して書けばよかったかな。。。まあ直感なんで!