性悪説

性善説に依存した社会システムなど理想論だ。


……と、いう主張があるとするわけです。だから性悪説に立てと。悪い事をする人はいるものだと。
それはそれでもっともらしいのですが、最近ちょっと思ったのです。
「じゃあ聞くけど、真に性悪説に立ってまともな社会システムを作る事などできるのか」
性悪説に沿った社会システムが構築できるという考えこそ、理想論ではないのか」と。
およそモラルというものに依存せずに、豊かで生産的な社会を作りあげるのは無理なのではないか、と。


闇の子供たち」という小説を読みました。これは本編もさることながら、解説のほうもちょっと
心を揺さぶられる内容であったりしました。
この小説の中の世界のタイでは、国家の基盤が崩壊しています。
警察も軍も政府も酷く腐敗が進んでいて、正常な社会を維持するための力が全く働いていません。
このような状況では、人は自己を守るために多くの労力を払わねばならず、そのために社会の規律や
道徳といったものも無視せざるを得ず、およそ社会の利益に貢献する余裕などなくなっています。


「全ての経済はバブルに通じる」を読んだ時に思ったのは、投資機関にはやはりモラルが求められるのでは、
というか、社会に大きな影響を与える組織にはモラルを求めざるを得ないのでは、ということです。
市場原理主義の盲信は誤りなのかも知れない、と。


私はどちらかというと、市場原理主義には肯定的な考えを持っていたのです。
市場原理主義」と言うと「んなもん悪いに決まってんじゃん」と決めつけで言ってくる人がいますが、
「…いや、そんな1から10まで悪いものではないですよ。。多分」と、私は思うわけです。
私はプログラミングが好きなのですが、プログラミングが好きな人には市場原理主義は納得しやすい思想ではないかなと
思うわけです。合理性があり、シンプルで、システムとしての美しさがあるのです。
優秀な人間が多くの報酬を貰うのは当然。格差が発生するのは当然。合理主義に基づいて人々は向上に努め、
価値の劣る製品は淘汰される。それが原則。あとは安全網さえしっかりしてれば良い。素敵じゃないですか。


堀江貴文氏という人がいましたが(いや今もいるはずですが)、彼は価値のある人間だったと私は思っています。
彼の行動が誤りであれば、市場原理主義によって彼は自然淘汰されるはずでした。
彼が突いたのは現状の社会構造の綻びであり、言わばセキュリティホールです。正規のルールに照らして合法であるなら、
正されるべきは彼ではなく社会システムの方なのだと。あのように極端な事を行う人間は社会の健全化の為に必要であって、
モラル云々という曖昧な基準は、馴れ合いや癒着、組織の腐敗を招きますよと。
…そういう風に、思っていたわけです。いや今も思ってるけど。


しかし「全ての経済はバブルに通じる」を読むと、どうも競争論理が悪い方に作用してしまっている訳です。
結局、健全でないものが勝ち残ってしまう可能性がある。価値の評価が不完全なのが原因っぽいですが、
じゃあ何を以て評価するべきかということになり、その答えはちょっと簡単には見つからない。
というかそもそも論として、やっぱある程度モラルに依存しなきゃならないってのを認めなきゃいけないのか、と。
ただただ利益に走るのではなく、世界を崩壊させないように注意する、そういう意識が必要なのか?と。


ただモラルモラル言う人の考えはちょっと胡散臭い事もあるから、だから中々モラルを大切にしようとか言いにくいんだよね。